5月30日の日記

2014年5月30日 日常
区切りとして事の顛末を記す

母の異常行動
内蔵炎症による体温の上昇
混乱による言動、行動の異常
炎症の治療のため抗生物質の投与と生理食塩水による洗浄
2週間の入院と診断される

体温が平常に戻ると言動と行動の異常が収まる
思考に齟齬がなくなる
記憶が正常になる

ここで二人の体重の変化の仕方に異常を感じる
母の不調が長期に渡っていたことが発覚
父、看病のため身を削る
心臓と血圧に異常があることを知る
家系から心臓の疾患については予感が当たることとなる

入院中にたくさんの提案をし
今できる対処に動く
地方自治の福祉の限界に幻滅しつつも
これが日本の福祉の現状だと諦めもつく

我々子供ができることについても考える
遠隔地に住む私にできることは
近隣に住む兄弟にできることは
今年の夏までには何らかの答えを出す
道はまだ選択できるはず

夏までの間は、
夫婦の「生活」を完全にサポートする
衣食住、全てにおいて
民生委員、介護サポートグループ
使えるものは全て使う
なんなら父の介護認定も取る

とにかく

なにかに不自由する生活はさせない
短期でできる事柄、ペースで
それ以降はまた考える

不確定事項が多いことに焦るが
兄弟の笑い声を聞いたら少し楽観もできた
頭が上がらない

よし、私は私の日常に帰る
新しい日常かもしれないが
帰るんだ

5月30日の日記

2014年5月30日 日常
本日退院

ですが、これで終わりではなく
これからが始まりです

遠い未来
近い未来
半年後
一ヶ月後
一週間後
明日

考えます
答えは先送りでも良い
でも必ず答えが必要になります

不安でしょう
だったら相談してください
あなたたちは一人じゃない

一人じゃないんだ
貧窮する必要は何処にもない
体もだけど
心も健やかに

とても難しい事を言っていると思う

気の持ちよう
この事が簡単だと思えるあなたはきっと若い

5月27日の日記

2014年5月27日 日常
もし、家を売って、両親がこの土地を離れたなら

この地に来る理由がなくなる
友人はいるが、来るまでもなかろう
ネットがあるしな

もう二度と、
来ない
ここに

嫌なのか?

涙がでる

5月26日の日記

2014年5月26日 日常
母が倒れたときに決意をした

それは子として当然なことだと思った
2人の幸せを考えた
今の生活がずっと続けば良いと思った
でもそれは無理だった

生きると言うこと
それは生物学的に生きていると言うことではない
確かな人格をもって母が母で、父が父でいられることだろうと思った

それはここでしかできないのだろうか?
そんなことはなかろう
御年80を超えて新しい土地、新しい家でもできるだろうと
でも、自信がない
住み慣れた土地の利
これを超えられるか

父も母もこれまで生きた証を知るものがいない土地へ
どんなにこの事が寂しい事なのか
私には想像が付かない

この町も高齢者ばかりで死につつある

なんでこういう発想になるのか

自分のマイナス思考が嫌になる



考えよう

5月26日の日記

2014年5月26日 日常
父が決断を下そうとしている

老いを自覚し、これからの幸せのために
選択と決定を

その結果、私の産まれたこの家を処分することになるだろう
私はなにもいらない
全てを自分たちの幸せのために使って欲しい
本当に何もいらないのです

施設に入るのも、子供達の近くに新居を構えるのも
全ては自分たちの幸せのために
お願いします


お節介だとわかって言います

老いを自覚できるのは若い人だけです
老いてしまうと自分の老いすら分からない
誰かに言われても信じない

とても難しいことなのです

備えがあっても
使えなくなったら
どうしようもない

本当に難しい

5月26日の日記

2014年5月26日 日常
ここに思いをぶつける回数が減ってきた

それはそれで良いことなのだと思う
具体案が見えてきたから

ただ、困難は困難として依然そこにあるわけだから
安心はできない
ただむやみに不安がることの無意味さも少しわかった
少しだ
不安ってのは気がつくと鎌首擡げて私を見下ろし威嚇してくる

とても恐ろしい

本能として、無用な不安を持ってしまうのか
人間ってのは面倒だな

5月26日の日記

2014年5月26日 日常
何も考えない時間ができた

頭の中を空にできる
かと、言えばそうも行かないが
気は楽になった
根拠はないのだがね

まだ自制が効く
たいしたものだ

意外とやれてるな
と、楽観できた自分を今は褒めよう
それだけでいい

5月25日の日記

2014年5月25日 日常
一歩一歩

今はそれが大事
山と積まれた問題に一歩
ちょっとした嬉しいことに一歩

欲張らず
物怖じせず
一歩でいい

物足りないので丁度良い
今は平時じゃない
踏み外すわけにはいかないから

一歩でいい

5月25日の日記

2014年5月25日 日常
猫を見た

なんか嬉しかった

ああ、病んでるなぁ
と思ったら急に笑えてきた

夜中に目が覚めた
天井がぐるぐる回ってる
まずい
と思って目をつむった
感覚がぐるぐる回ってる
なんだろう?
目眩か
栄養不足か
疲労か
分からん

病院行った方が良いんだろうか?
今は無理だけどね

病院にいるのにね
医者の不養生が理解できたよ
母の容体が安定して安堵する一方
今後のことが何一つ予定でしかない不安が募る

退院したらああして、こうして、どうして
これ決めて、あれを選択して

どうして!
こんなにやってるのに何一つ片付かないんだ!!
くそ!!

心のバランスが極端に振れる
ポジだったりネガだったり
理屈っぽかったり投げやりだったり

迂闊なことを言いそうで怖い
でも喋らなきゃ
この家には会話が足りないんだ
笑いが足りないんだ

5月23日の日記

2014年5月23日 日常
日常にある認知の原因

たとえば
耳が遠くなる
人の話が聞こえない
会話には入れない
塞ぎ込む

これだけでも認知症への第一歩
5年も重ねれば発症する

たとえば
転ぶ
出歩くのが怖くなる

たとえば
倒れる
迷惑になるのではと消極的になる

何かを、誰かを、ネガティブに気にし始めると
とても危険

ポジティブに生きること
それは些細な事から壊れる

5月23日の日記

2014年5月23日 日常
継続できる福祉

病気をしたから看病する
当たり前、と言うのは簡単だ
だがこれをあと5年、10年続けられるか?
と、問われれば絶句する

福祉は瞬発力じゃないんだ
持続力、
生きるために続けていくことなんだ

誰かを支えるために痩せ細るようなのは福祉じゃない
緩やかな死だ
それじゃだめだ

生きるだけでもだめだ
生きる意味を持って生きていく
その時にならなければ分からない
けど
その時にはもう遅いのかもしれない

老いて生きる
難しいことだけど
考えなきゃ

答えは先送りでもいいけど
考えなきゃ

私は出遅れているんだから

5月22日の日記

2014年5月22日 日常
一週間が経過した

あっという間なんてもんじゃない
光速だよ
こんなに早い一週間、二度と体験したくないな
二度と

分かってるんだよ
逃げてるわけじゃない
今は小さな回復を喜びたい

20年ほったらかした私の我が儘を聞いてくださってありがとう
この夫婦を救ってくれてありがとう
私のできること
全部やります

死ぬまで笑ってやります
笑ってやります

だから、ありがとう

5月22日の日記

2014年5月22日 日常
医療関係者に見られたくない文章

なんだろうね、忙しいのは分かるが
認知のみられる患者に「1分経ったら外して良いよ」
というのはどうなんだろう?

訳も分からず20分も30分もそのまま

管理できる限界を超えているのであれば
数を抑えるべきと
航空関係者は思うわけです
フローコントロールがどういった結末を迎えるのか

テネリフェの悲劇

興味があれば見てください

5月22日の日記

2014年5月22日 日常
炊事洗濯、思った以上に自分ではできない物ですね

インターネットでやり方を調べる何とも情けない自分がいます
でも、やろうと思ってやれるうちはやっとくべきだなとも
料理だって、自分のできる物以外にもどんどんチャレンジすべき
いずれやろうと思ってもできない体になるのだから

新しいやり方を覚えるのも楽しい
下着をたたむのも
シャツをたたむのも
女性物の下着も…と誤解を産むような事も書いておく

さて、数時間後に父と交代する
父は今日、掛かり付け医に薬を貰わなければならない
病室では眠れただろうか?
心配事はたくさんあるが、いっぺんにはできない
一つ一つ片付けていこう

それでいいよね?

5月21日の日記

2014年5月21日 日常
イオンと病院の土地

本当にそう思うね
行くところと言えばイオン
通ってるのは病院

それしかない

イオンができる土地は住宅地が隣接する
病院が移転すると言えば患者は移動手段に四苦八苦する

生活の基盤がそこにしかない
社会的な責任とか堅いことは言うつもりはないが
それでいいのかとも思う

商売を冷静に考えられない今の自分から言わせて貰えば
あなた方の責任は思っている以上に大きい

5月21日の日記

2014年5月21日 日常
会社に電話した

何もないはずだったのに
泣いてしまった

自分がいるべきところにいられないからか
それとも弱っているのか
分からない

迷惑はかけているはずなのに
申し訳ない気持ちで一杯なのに
頼ろうとする

知らんがなでもいいはずなのに
やっぱ弱ってるのかな
今日も夜が明けた

何事もなく
あってたまるか

昼寝ているとはいえ、夜寝られないというのはきついね
仕事でなら
いや、比較しようもないか

まだ余裕だけど

付き添いを楽にする道具
キャンプ用の深く腰掛けられる椅子を持ち込んで正解だった
あと、簡易ベッドでもあれば
と、思ったが
ここは都会じゃない

通販も受け取れないんじゃな
仕方ないか

5月20日の日記

2014年5月20日 日常
さて、今夜も泊まりだ

点滴も外れて薬液を観察しなくていいぶん楽だけど
じゃなぜ泊まるのか
半分は自分が泊まれない父の想いを汲んでいる
最近は良く泣くんだよね

母に付きっ切りでどこにも行けないストレスと
母を見なくてはという張りつめた気とで
押しつぶされそうになってたんだと思う

誰も不幸にしない
うん、誰一人として
母の経過が良く点滴の量が減り、風呂が許可された

夜中の寝返りの数を見て回復を信じ
先生の言葉で確認した形になった

だが認知のレベルはどんな感じだろう?
これは福祉の専門家と掛かり付け医の判断を仰ぐことになる
状態によって極端な変化をする認知症
良いときだけを見て判断されても困るし
悪いときだけを見て判断されても本人の意に沿わないサービスになる
とても難しい

そして、これからのこと
田舎の福祉サービスには限界があるとは思っていたが
これほどまでに
いや、比べるわけにはいかないが
週に1度程度の見回りくらいしかできないと言われたときには
正直失望した

どうする?

具体的には両親に選択して貰うしかない
この家に居て
この家を捨てて
施設へ
姉の所へ
私の所へ
それとも別の所へ

次に何かあったとき

私は動けるだろうか?
姉は動けるだろうか?
誰が動けるだろうか

極論ではなく、救急車以外に選択肢のないこの田舎で
どうする?

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